イギリス近代文学における植物表象の史的展開
平成26~29年度 基盤研究B

研究ブログ


20150326



大英図書館のRare Books Reading Roomではカメラでの撮影はご自由に、といった案内メールが来ていたので、本当かと思っていたのだけれど、行ってみたらあっさりどれでもOK、ということだった。植物図鑑もしらべたが、こういった肖像画も撮影して帰ってきた。この人はピーター・コリンソンという、18世紀前半に活躍した人である。彼はクウェーカー教徒であった。アメリカ東部にはウィリアム・ペンがいて、多くの非国教会徒を呼び寄せていた経緯もあって、クウェーカーの人々も多くいた。一説には、ある人が王立協会会員である確率は、その人がクウェーカー教徒であった場合格段に高まる、ということであるが、自然に対する敬虔な気持ちは、彼らを植物研究にも駆り立てたようである。コリンソンはイギリスにいて、植物の種を輸入するアメリカとのネットワークの中心人物であった。まだアメリカが植民地だったころの話である。この扉絵のコリンソンは、右下には花と本が描かれ、左下には植物図鑑と珍しい貝が置かれ、彼はクウェーカーらしい質素な黒っぽい上着を着ている。この絵で彼の人となりを示しているのだろう。これはフォザギルという彼の友人の回顧録にあるものである。




20141107
Galium Verum . Yellow Ladies-Bedstraw.
ウィリアム・カーティスの『ロンドンの植物』は、300部しか出版されなかったので稀覯本であるが、現在ではインターネット上でいくらでも見ることができる。 Flora Londinensis
左の黄色い花は、ロンドン近郊に夏に咲くのだそうだが、草はらの端とか乾いた丘の上とかに群生するという。というより、かつではそうだった、ということで、稠密化が進んだロンドンで、現在ではおそらくこんな草が生える場所もほとんどない気がする。
この草は、草木染めに使うことが出来、よい黄色を出すのだそうである。

イギリスの花にはイギリスの言葉の名前がついている。この花の名は、直訳すれば「黄色い女性用床わら」とでもなるのだろうか。昔は、この草を乾かしてマットレスに入れたそうである。独特の香りで蚤を追い払うそうである。研究会の余談として






20140617
淡路園芸学校では、城山豊先生(中央奥)にお会いして、授業も見学させていたいた。ちょうど公開授業の日でもあった。(真木利江氏と)


ここではナイアガラ園芸学校やイギリス・ナショナルトラストの管理にあるヒドコット・マナーとの提携もある。城山先生にはいろいろ学校のことを教えていただいた

学生さんたちは寄せ植えの作品発表。これは城山先生の作品・・・やはりちょっと違って風格がある。サボテンや葉肉植物のいろいろが集まっているが、水や日光を同じように与えればいい植物を合わせて植えるのがコツだというのもよく分かる。こういった寄せ植えの作品は、一週間で様子が変わったりするようである。一ヶ月後にはおそらくこの花はなくなっているでしょう、など言われている学生さんもいた

次の授業はハンギング・バスケットをペットボトルで、というディスプレイのやり方を学ぶもの。これは製作途中だが、ピンクと白のペチュニアがかわいらしい。ペットボトルを半分に切り、横に穴をあけて、横から植物を出す方法。コストダウンを追求したディスプレイ方法である。家のベランダでも出来そうな気がするが、どちらにせよ水やりや花殻摘みはこまめにしないといけない。

この学校の敷地内には、いろいろな植物がたくさん植えられている。何気なく下草のように植えられているこのセイヨウオトギリソウ(St John's Wort, Hypericum Hidcote)は、よく見るとなかなか浅い緑に黄色が映えて美しい草だった。昔のヨーロッパでは薬草であったようで、聖ヨハネの祝日には、病気を追い払うためにたくさん集められて燃やされたそうである。
現在、薬学を学ぶ学生さんは、薬草園に行って薬草が育っているところを見て学ぶそうである。西洋の植物辞典に載っている草や、昔から薬草として用いられてきた草の数々も、百聞は一見にしかず、土のにおいとともに知るべきなのだろう。
最後は、奇跡の星の植物館にあったウォール・ガーデン